「誤読」について

文学批評の入門書に「自分なりの解釈が、誤読ではなく、相当の妥当性をもっていることを論証しなければならない」と書いてあった。文学作品の多義性を肯定しながら、なぜ「誤読」を否定するのか。そこをはっきり説明すれば、文学部不要論を論破できるのではないか。