「誠実な言葉」について考えていたら、こんな本を見つけました。

岡本夏木『幼児期ー子どもは世界をどうつかむかー』                     

 

ことばと誠実性の乖離、それは「大義」と称して大量殺戮を当然とする政治家から、自分のみに通ずる理屈を立てて友達の殺傷にすら至る青年、また先にあげたような、他者に求める規範と自己を律する原理とを使い分けるような道徳論者(たとえば人間への畏敬を説きながら、自らは人の中傷文書を撒くような)に現われてきます。

 

誠実なることばの基盤は、幼児期に築かれます。そしてそれに不可欠なのは「誠実なる他者」の存在です。

 

もちろん幼児期に限らずその後の生涯においても、ことばにおいて誠実な人と接する機会をどれだけ持つかが重要です。若き日の日本留学の思い出を記した魯迅の「藤野先生」を思い起します。別れて二十年後、北京の書斎で、「いまにも語り出しそうな」師の写真を仰ぐことによって、「良心がよびもどされ、勇気も加わる」魯迅の姿は私たちの心を打ちます。